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  • 2026.01.16

    副校長ブログ「ゆめみる」第56号 『昭和の一喝』

何気ない日々の生活の中で、ふとした瞬間に頭をもたげる一言がある。

「昭和の一喝、あっぱれでした」

筆者は一昨年まで、長く中学バトン部の顧問を務めてきたが、2022年の文化祭での出来事である。コロナ禍の収束がなかなか見えない中で、マスクをした上で声援をしないことを条件に許可された公演だったが、バトン部に先立って行われた中学ダンス部公演、会場は声援の嵐だった。コロナ禍の鬱積が記念講堂の煌びやかな照明と熱気で解放されたのか、ダンス部の顧問が場内アナウンスで「声を出さないで!」と繰り返し呼び掛けてもまるで収まる気配がない。そのあとに公演を控えている身としては、その会場を包んだ興奮がとても不安だった。

大勢の保護者がいようと関係なく、会場整理係だった私は怒鳴り声をあげた。「この日のためにたくさん練習してきた部員たちの努力を無にするつもりか!声をあげるな、と言われてるだろう!顧問の先生の注意を適当に受け流すんじゃないっ!!」と。

その一言は、それを見ていたバトン部の保護者からのメールだった。

私学の教員のように同じ職場に30年もいると、時が止まり、世の中から隔絶されているのかもしれない。筆者は昔からよく怒鳴っていた。教室では当然のこと、学年集会や宿泊行事の時など、時間を守らなかったり、ごちゃごちゃしゃべっている生徒がいたりすると、すぐさま「うるさいっ!」と怒鳴る。それが自分の役割のように感じていた。

そんな怒鳴り声、今の時代は「暴言」といわれるのかもしれない。教員が生徒を呼ぶにも「さん」づけが当たり前、生徒との会話も敬語をつかっている若い先生もいて、筆者からすれば背中がむずがゆくなるような口調で叱っている。「お前らさぁ」とか「○○っ!」と苗字で呼び捨てにするとか、筆者は未だにそんなことをしているが、時代錯誤も甚だしいと逆に叱責されるのかもしれない。

だが、年配の教師の勝手な思い込みかもしれないが、呼び捨てや、ある種ぞんざいな口調でないと、どうにも彼らの中に本音で入っていけないように思ってしまう。なぜ本気で叱らなければならない時に敬語で話すのか、筆者にはどうしてもそれがピンとこない。事実、こんな昭和の教師から生徒が離れていくのかと思えば、案外そうでもなく、「昭和レトロ」の復権よろしく「昭和の教師」も生徒たちは受け入れてくれているのだ。

つまるところ、お互い信頼しあっていればこそなんだろうと思う。だからこそ、歯に衣着せぬ物言いが相手の心に刺さっていく。暴言でもぞんざいな言葉でもなく、想いそのままの言葉。それは生徒から返ってくる言葉もおんなじだ。

成城学園中高はいまや高齢化がすすみ、どんどん教員が入れ替わる若返りの時期を迎えている。年寄りが去り、時代に適応したスマートな教員がスタンダードになっていくのだろう。それがいいのか悪いのかはわからないが、生徒と教師の間に壁のない、本音でフランクな関係性は、成城学園の良さとして長く受け継いでいってもらいたいと願う今日この頃である。

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